ヴァイオリニスト・音楽博士 劉薇(りゅう うぇい)

1984年西安音楽学院管弦学部ヴァイオリン科を最優秀で卒業、同学院にてヴァイオリン科教師を務める。
1986年来日、桐朋学園大学音楽学部に留学後、東京芸術大学大学院修士課程、博士課程修了。ヴァイオリンを丁仕剛、馬紹寛、隋克強、林耀基、江藤俊哉、浦川宜也の各氏に師事、論文指導を片山千佳子、楽曲分析を南弘明の両氏に受ける。
1999年博士学位論文「ヴァイオリニスト・作曲家としての馬思聡研究」及び馬思聡作品の演奏により、日本のヴァイオリン演奏分野では数少ない博士号(音楽D.M.A)を東京芸術大学より授与される。
東京カザルスホール、紀尾井ホール「博士学位取得記念劉薇ヴァイオリン・リサイタル」を開催、絶賛を博す。来日以来日中音楽文化交流の使者として多くのコンサート活動を重ね、特に馬思聡の研究、演奏両面のスペシャリストとして高い評価を得ている。
2000年夏アジア音楽週間で東京交響楽団と共演、同年秋ニューヨーク・カーネギーホールで「楽韻飄馨」音楽会に出演、フィラデルフィアでリサイタル。
2001年紀尾井ホールにおけるリサイタルは大成功を収め、NHK-FM放送、TV出演など活動は多岐にわたる。
2002年北京中央音楽院の招きにより、馬思聡生誕90周年記念行事にてリサイタルを開催。
2003年5月東京、大阪にて来日15周年記念3回シリーズ・リサイタル開催。「劉薇CDアルバム・馬思聡のヴァイオリン曲集」は音楽界に大きいな反響を投げかけている。
2004年日本各地、中国など演奏活動に追われるも、最新CDアルバムVol.3「馬思聡晩年ヴァイオリン作品集」、「劉薇・美しきロスマリン〜珠玉のヴァイオリン名曲集」を日本音楽財団より貸与された、1736年製の名器グァルネリ・デル・ジェスで録音し発売。
2005年岐阜、京都、長崎、広島、金沢でリサイタルを開催。
2006年11月30日、来日二十周年記念リサイタルを浜離宮朝日ホールで開催する予定。
現在演奏活動と同時に講演(文革の中での音楽的経験)も多く行い、人々に感動を与え続けている。フェリス女学院大学オープンカレッジで「アジアの近現代の音楽」、共立女子大学で「中国文化特殊講義」を担当。「劉薇校訂・馬思聡ヴァイオリン曲集」の楽譜出版にも携わる。

・・・ニュース・・・

2003年5月9日の朝日新聞英字版
「music IN SIGHT」
紹介記事が掲載されていました。
左の画像をクリックすると拡大画像が出ます。




〜父と娘が紡いだ音楽への道〜

 最近、上海の実家で、30年ぶりに父の手写し楽譜を目にした。楽譜は当時の政治風潮を反映する『人民画報』で包まれ、時代の歩みを刻まれていた。娘はきっとヴァイオリンを上手く弾いていけるとの信念一つで、6年間私のヴァイオリン練習とともに、教則本のカイザーから、パガニーニ超絶技巧のカプリスまで五線ノートに手で書き写したのであった。文革末期で、コピー機はもちろんなく、西洋文化全般排斥され、私も窓を締め切って、人に隠れてモーツアルトや、ベートーヴェンを聴いて練習したのだ。

 中国奥地の敦煌近くの蘭州で生まれた私は、幼い頃から人民服姿の父が弾く二胡やアコデイオを聴いて育った。そこそこ地方劇団で劇音楽でも弾けたら、「若い青年は農村へ肉体労働させる」毛沢東の政策を免れるのかもとの発想で、音楽との関わりを持ち始めたのであった。
 ある日、父が汽車2日間も乗り継いて知人を探し、ボロボロのケースに入ったヴァイオリンを手に入れ、鋸で子供用に改造し、空色のペンキーでケースを塗り変え、私に与えてくれた。毎週列車で3時間かけて習いにいった頃、距離感はあったにしても懸命に通い続けた。レッスンの日が近づくと、母も弟も協力してそのことに気持ちを向けた。車掌さんは今日も放送室で弾いたら切符はただにするよと、とにかく弾けないところを飛ばし、曲らしくつなげることが大前提であった。習うため、農作物を運ぶトラクターであろうと、あの地方で利用できる交通手段の一通りは乗ったことあったようだ。
 列車の放送マイクに向かって週一度ヴァイオリンを弾いたことで、座席を譲ってもらえた、父の世界名作ストーリーも聴けた実に有意義な時間であった。考えると12,3歳で演奏活動をしていたのかも。



 当時の父の情熱は並々ならぬものだ、小沢征爾、アイザック・スターンの歴史的訪中のニュースが流れ、中国大地を沸騰させた。 "北京へスターンを聴きにいこうよ"と、階段を上る僅かの時間も待てなく、アパートの下で叫んだ父の顔はいまだに思い出す。取材班同行したスターンの中国の旅は、後に16時間に及んだドキュメンタリー、「モーツアルトから毛沢東へ」編で、文革中閉ざされた中国の様子を世界に伝えた。スターンは人々が紅衛兵に傷つけられたボロの楽器で、感動的な演奏をしたことから、中国音楽界の時代が到来すると予言をした。スクリーンに映る音楽学生に自分の影を重ねた瞬間に、涙が大河のようにあふれた。




 やがて文革が終息し、直後に私は倍率数百倍の難関を突破して音大へ入学した。文革10数年で停止した大学入試が復活され、押さえられたエネルギーが一気に集まり、中国に数えるほどしかない音大への入試は、想像に絶するほどであった。音楽家になろうとする私はこの時初めてピアノに出会い、ピアノ伴奏が鳴り出す瞬間に、緊張のあまりに心は震えた。その時のショックをいまだに忘れられない。音楽を求めた険しい道を忘れるな、必死にヴァイオリンを弾いていけ、父の話はあれからずっと耳の傍に残った。
 現在、日本を中心に各地で展開する私の演奏活動の一部に、父と娘が紡いだ決して平坦ではなかった音楽への道を、人々に伝える努力をしてきた。ヴァイオリンプラス父の姿が、音楽と同時に私の脳裏から離れることは出来なかった。    (つづく)


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